人を殺すとはどういうことか

人を殺すとはどういうことか

 

これは激しく賛否両論に分かれるだろうけど、僕は読んでよかったと思う。

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白

人を殺すとはどういうことか

 

まずこの著者は本の中でも自分で何度か書いてあるように、本当に頭がいい人なんだろうと思います。

ただそれが悪評の原因にもなり得る部分で、

自分は自分が犯した殺人については犯行当初(ヤクザの世界にいたとき)に比べ考え方が変わり、

今では被害者や遺族に本当に申し訳ないという気持ちで日々生活しているが、

こいつ(別の犯罪者)は全然反省していない。

というように言っていると捉えられてもおかしくない表現が多いです。

でもむしろ僕には、冷静に人を見て判断したことをそのまま素直に書いているだけだと感じられます。

 

もし僕の家族が誰かに殺されたら、その犯人を殺してやりたい気持ちになるのは当たり前。

たとえ愛犬を殺された場合でも、普通なら犬と人を対等に比べるのはおかしいかもしれないけど、

僕にとっては家族同然の犬を殺した犯人は殺してやりたいのが当たり前。

「犬か人か」じゃなく、「リムかお前か」ということ。

でも現実的(道徳的)にはその犯人を自らの手で殺す人はいないと思います。

仮にいたとしてもごく少数。

となると、犯人の行く末は法律による裁きに委ねるしかありません。

もちろん望むのは極刑(死刑)。

でも今の日本の法律では人を1人殺しただけでは死刑になることはまずありません。

悪くて無期懲役、運がよければ有期刑です。

 

・・・と、↑こんな考え方の輩が刑務所内はほとんどだそうです。

無期懲役だから運が悪かったのでしょうか。

懲役12年だから運が良かったのでしょうか。

被害者はこれまでの人生、これからの人生すべて奪われているのです。

「は?なんでオレが無期なわけ?主犯と同じ量刑はおかしいだろ!」

「オレは建物に火をつけただけ。なのにあの野郎、あんなとこで寝ていやがって!ムカつくぜ」

「逃げればいいものを、あいつがバカみたいに向かってくるから衝動的に・・・」

全然反省していないばかりか、自分で殺した相手をバカだ、ウザイと言っているようです。

刑務所内の大半はこういう人達のようです。

 

それでも裁判の際は人生がかかった大勝負と気合いを入れて演技します。

「・・・本当に、本当に・・・被害者の方には・・・申し訳・・・ない・・・です・・・。(嘘泣き)」

犯人を裁く裁判長や裁判員には、犯人のこういった面しか見れないのは大問題だと思うわけです。

2009年より施行された裁判員制度により誰でも裁判員になる可能性がある今、本当に考えるべきです。

 

僕はこの本を読んで、「更生」という言葉について考えるようになりました。

「更生」を辞書で引くと、

精神的、社会的に、また物質的に立ち直ること。好ましくない生活態度が改まること。

とあります。

でも実際に、更生できる人というのは元々真面目な(まともな)人だけなんじゃないでしょうか。

まともな人という表現1つをとっても、捉え方は人それぞれ。

「まとも」の線引きも人それぞれなのですが、僕は本書にも出た次の犯行をまともとは思えません。

「なんで小学生なの?どうして子供でないとダメなの?」

「大人は抵抗するし、毛は嫌いなんで・・・」

「でも殺すことなかったんじゃ?」

「以前の犯行で逮捕されたのが、被害者に顔を見られたことが原因だったんで。」

「被害者についてはどう思ってる?」

「そりゃ、申し訳ないですよ」

僕の勝手な考えでは、この人の更生はありえないと思います。

出所したらまたヤルでしょう。

なぜそう思うかというと、そもそもこの人、まともじゃないからです。

更生するということには、前提にその人がもともとどんな人かという事が重要だと思うわけです。

 

でもそれは裁判の時に見られる犯人の姿からは誰もわかりません。

裁判官にはどんな場合でも公平な裁きが求められますが、人の心を読める裁判官はいません。

仮にいたとしても、「私は心が読めます。この人は反省していません。よって被告を死刑に処す」

なんて言ったら大騒ぎになってしまいます。 

 

著者自信、2人も人を殺しています。

この人の場合、ヤクザの世界にいたことや、犯行当時の考え方が特殊ではありますが、

2人の尊い命を奪ってしまったことの重大さ、被害者、遺族の気持ちなどを考えるようになり、

第三者の僕から見ると、一般的に言われる「更生」を果たしたのだと思います。

 

でも遺族はこれを望んでいるわけではありません。

あくまで死を望んでいます。

自分の息子を殺した奴がのうのうと生き、笑い、屁をこいている。

そう思うだけで腸がにえくりかえるという表現では済まされない日々だと思うのです。

 

どんなことがあっても、人を殺すということは正当化できない。

でも、「大人は抵抗するし、毛は嫌いなんで・・・」などとほざく幼児強姦殺人犯を生かす理由はない。

 

心から反省すれば被害者が生き返るわけではない。

それでも刑務所を「長期休養所」みたいに使い、次の犯行の計画を練っている常習よりマシか?

 

犯してしまった罪はいつかは許される時がくるのか?

 

出所したまともじゃない奴の次なるターゲットが自分の大切な人になった時、守ることができるのか?

 

・・・。

 

本当にいろんなことを考えさせられた1冊です。

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白

1つ星

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この記事の著者

kazushi釣りと生き物をこよなく愛するWEBデザイナー

釣りと焼酎が好きなWEBデザイナー。夜な夜な真っ暗な部屋で水槽を眺めながら呑んでいます。最近のマイブームはハンドメイドルアー制作。琵琶湖のほとりでひっそりとWEB制作事務所を営んでいます。

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